日進月餅

暇に任せて、一日中画面に向かって、思い浮かぶ瑣末なことをつらつらと書き連ねていると、妙にばかばかしくなってくるものだ。

あれから5年

東日本大震災から今日で5年になります。
宮城県出身の自分としまして、この日はやはり特別な意識を持たずにはいられません。
5年経った今でも「3月11日」「2時46分」という時間帯は意識します。ふと時計を見た時に2時46分を指していると「あ、あの時間だ」という気持ちになります。

中心部(仙台市街)は以前とほぼ変わらぬ様相を見せておりますが、沿岸部はまだ復旧すらままならない所も見受けられます。
震災以降、気仙沼石巻、女川を訪れましたが、いずれも震災の爪痕がまだ色濃く残っていたり、更地の部分を工事していたりといった感じでした。「いつまでも引きずるな」という意見もありますが、これらがどうにかならないうちはまだ震災のことを忘れるのは不可能だろうと感じています。
それでなくとも人材、資源の不足で工事が遅れているので、完全に「復興」と言える日が来るのはまだ先になりそうです。

正直な所、震災からの復興もままならないのに東京五輪に多額の資源をつぎ込んでいる場合ではないと自分は考えます。
「復興五輪」と銘打つならそもそも東京ではなく東北地方の都市で誘致すべきですし、東京でやるならプレゼンで被災地のアスリートを担ぎ出す必要性もなかったはずです。
そんな東京五輪には欺瞞めいたものを感じざるを得ません。
復興の遅れ、被災者の苦しみを見ているとそのような気持ちになります。
復興が済んでから五輪を誘致しても遅くないはずです。五輪で盛り上がる前にまず目の前の大きな課題にけりをつけるべきではないでしょうか。
東京だけのことなのに地方が割りを食うのは納得がいきません。

震災を振り返るというよりは東京五輪に対する不信感が中心になってしまいましたが、自分の率直な思いを述べたつもりです。
東北の人間である以上、東日本大震災のことは忘れるわけにはいきません。ですが、このような思いをするのはもうこれっきりという気持ちです。
このような災厄が二度と起こらないことを祈ります。