日進月餅

暇に任せて、一日中画面に向かって、思い浮かぶ瑣末なことをつらつらと書き連ねていると、妙にばかばかしくなってくるものだ。

GHKアーカイブス あの日 あのとき あの広島③

広島旅行レポ、いよいよ最終回となります。

最終日は広島市電に乗り、原爆ドームを目指します。

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車窓(進行方向とは逆側の運転席近くで撮影)

写真を撮りつつ原爆ドームに到着しました。
元は産業奨励館という建物でした。
原爆被害の悲惨さを伝える、いわゆる「負の世界遺産」として知られています。

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角度を変えて
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遠景

写真や映像などで目にすることはしばしばありましたが、実際に目にするのは初めてのことでした。
やはり、実際に見ないことには伝わらないものもあると感じました。
神奈川県のJR鶴見線の沿線に機銃掃射の痕が残っているのを見たことがありましたが、ここは当たり前のことですがそれ以上に戦争の悲惨さ、被害の甚大さを物語るようでした。

平和記念公園を散策し、併設されている平和記念資料館を見学しました。
ここでも、原爆ドーム以上に戦争、原爆被害の悲惨さを感じることが出来ました。
個人的に一番印象に残ったのは外側は原形をとどめていたものの、中身が黒焦げになった弁当箱です。
その存在は学校の授業か何かで知っていたのですが、ここで実物を初めて見ることになります。
展示物の説明では「(弁当箱の持ち主は)この弁当箱を抱きかかえるようにして亡くなっていた」とありました。
弁当を食べるのを楽しみにしていたかもしれない、きっと食べたかっただろうに…、それも奪ってしまった原爆の悲惨さというのをまざまざと見せつけられた感じがあります。
このほかにも、原爆の際の熱線で焼き付けられた影や、「黒い雨」が残った障子など、被害の惨たらしさを示す資料がたくさん展示されていました。

今までは戦争反対であったり平和を訴える動きに対してどこか冷笑的に見ていた節があったのですが、このような資料を目の当たりにすると、何故そういった動きをするのかということが理解できた気がします。
またあのようなことを起こしてはいけない、同じような経験は起こさせない、という点については自分も同じ気持ちを持っています。

訪れた時は展示スペースの一部が工事中であったため、全ての展示を見ることはできませんでした。
宮島共々、もう一度訪ねたいと思います。

その後は再び広島駅周辺に戻り、お好み焼きを食べ、にしき堂の本店でもみじ饅頭を実家宛に発送し、新幹線で帰りました。
非常に充実した旅行となりました。
また機会があったら行ってみたいです。広島は非常にいいところでした。

以上、取り留めなく書き連ねた広島旅行レポを終わります。